生姜道
◉生姜道三カ条
・命の種を育むこと
・自然を受け入れること
・自分を生かすこと
1、命の種を育むこと
生姜はそれ自体が種になります。生きている生姜は、春に土に戻すと再び芽吹き、分けつを繰り返しながら新しい命の種が育ちます。私は、この種になる生姜が市場にほとんど流通していないことが残念でなりません。私たちは、食物の命の時間で出来ています。ヒトも、哺乳類も、昆虫も、微生物も、植物も、山も海もそれらすべては命の種で巡っているのです。
2、自然を受け入れること
自然は日々変化します。大きさも大小様々ですし、大きいことが優れているわけでもなければ、小さいことが劣っているわけでもありません。全ては育った土地の気候風土に沿った姿になるだけです。大きくても小さくても、それが育つ環境とバランスの中で病気になることなく、しっかり時間をかけて育ち切った生姜がもっとも美しく、美味しい生姜です。私は、「美味しい」という言葉に「美しい」の文字が入っていることに心ときめきます。美味しいものは美しく、美しいものは美味しいのです。
3、自分を生かすこと
生姜には何か特別な栄養分が多く含まれているわけではありません。何かを足したり引いたりするというよりは、元々生まれながらに備わっている機能(才能)を高める効果があります。生姜は、人生のパフォーマンスを高めることをサポートします。
生姜道とは・・・
私は、生姜の姿、味、香りがとても好きです。世の中で知られている
生姜の多くは、魚で言うところの切り身のようなもので、植物としての生姜はそこにはいません。
生姜の国内生産量は約5万トン。そのうち95.5%に農薬と化学肥料が使われています。栽培面積は凡そ香川県一県分に相当します。農薬や化学肥料については様々な考え方がありますが、化学肥料による河川や海の汚染は、これを使い続ける限り当面なくなることはないでしょう。また、農薬による使用者や周辺住民への暴露も現実問題としてあります。それより何より、これらを使い続けることは、花粉の媒介者である昆虫や土中微生物の減少をもたらし、しいては作物が育たない不毛の地へと変えてしまうのです。
私は決してテクノロジーを否定するつもりはありません。しかし、化学資材への依存度が高くなればなるほど、私たちの命は自然からますます離れていってしまう現実を多少なりとも知ってもらいたいと思うのです。